2017/12/27
政治や社会体制の話題をすれば、コメントが荒れる。
それだけでも、人が理解し合うというのが、ムリなこと。
それより、さっさと一人ずつに
人工世界という個人空間を割り当て、そこに引きこもれるようにして欲しい。
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欲しいものは、色々、ある。
だが、どれ一つとっても、現代で、手に入れることはできない。
・新しい(改良された)身体が欲しい。
・痛点や恐怖のコントロール装置が欲しい。
・聴覚の音量調節機能が欲しい。
・新しい(改良された)精神が欲しい。
・望みの
人工世界に引きこもりたい。
・(人間と比べれば)絶対に裏切らないAIを、仲間にしたい。
・病気をしない心身が欲しい。
・台風や爆弾低気圧などの嵐が、うるさく、怖い。だから気象操作して、それらをなくしてほしい。
・神経症(人の咀嚼音が気になるなど)を、完全に治してほしい。
・神経系を、自在に、改造できるようにしてほしい。(何も感じなくなれたり)
・神経の信号を感知して機械を動かす「出力関係」でなく、神経をジャックし、任意の感覚を流す「入力関係」を、実用化してほしい。
・ナノ
テクノロジー発展させ、ナノボットを実用化し、人体を、ほぼ切らずに、手術ができるようにしてほしい。
・発電。あらゆるエネルギーを電気エネルギーに変える方法は、いくつもあるのに、いまだ、無尽蔵なエネルギーが、全然実用化できていない。実用化してほしい。
・富の偏り。人類の富が、偏っており、もったいない使われ方をしているのを改善してほしい。
人類の富は、その多くを、
テクノロジーの進歩に割り当ててほしい。
すなわち、「さっさと、
テクノロジーを、進歩させて、生物も世界も文明も、改善してほしい」
現代科学は、まだまだ無力だと、思い知らされる。
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いったい、どうすれば、今の世を改善できる?
とあるテロ組織のように、武力にて、国のトップを排除すれば良いのだろうか?
大富豪にならなければ、何もできないのだろうか?
哀しい。
諦めて、ただ、耐え忍び、何かとも分からない何かを、待つしかないのだろうか。
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現実では、まるで、話にならない。
ので、私は、フィクションの世界で、色々と実現できればと、創作物を書いたりしている。
が、いくら書こうとも、望みのものは、得られない。
この自分自身が、フィクションの世界ではなく、ノンフィクションの世界にいるためだ。
だから!
精神アップロードで、楽園のような
人工世界へ、こもりたいと思うのだが、そこに、現代技術の壁があり、何もできない、という悪循環。
それで、このブログタイトルに戻るわけです。
精神アップロード技術か、
身体取替技術、それが要る。
そのためには……と考えるも、その先が分からない。
脳をはじめとした人体の解析・分析をすれば良いか? それをどう、次につなぐ?
それに、解析には、量子コンピュータークラスが必要になるかもしれない。
量子コンピューターを、進歩させるには、どうすればいい。
大金と資源を、そちらに回すのだろうか。だが、それが、どうやって?
……と、色々考えても、取るに足らない一般人の自分では、何ともしようとないこと。
結局、
未来を、ただ、待つしかないのか……
結局、ここで、いろいろ、ぼやくことになるが。
ここで、色々、しゃべって、何になるのだろう? 本当に、この言説に効果はあるのだろうか?
でも、効果があろうとなかろうと、自分にできることが、それしかないのだから、しようがない。
同様に、効果がなさそうだが、頻繁に、祈りをささげたりも、する。
「ありがとうございます。おねがいします。楽にしてください。希望をかなえてください、おねがいします」などと祈りと願いを、している。
それに、意味は、ないのかもしれない。
だが! 重要なことは、もう、そんなことではない。
”それしか、やりようがない”という、哀しさ、だ。
はるか昔の人間は、儀式や祈りをやっていた。その理由も、そうだろう。
今以上に、頼るものがない、時代だ。
だったら、効果がないことを、薄々気づいても、それをやるしかない。
他に……、ないのだから。
ただ、あっさり、
死ねるならば、別だが。
そう、上手く、
死ねる者、ばかりではない。
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こういう文章からでも、この筆者、私からの、何とも言葉に出来かねる、この
現実・世界に対しての、どうしようもない、やりようのなさい、やるせなさを、思いを汲み、共有してくれたら、少しは救いになります。
こういう思いの詰まった文章でも、フォロー?拡散すれば、少しはマシになる社会・世界になるのだろうか?
人々に伝わるだろうか?
なんか……、それも望み薄だと、私は
諦観の念を感じてしまう。
そうだ。欲しいものリストに、書き忘れていたものがあった。
「
死ぬ権利の保障。誰でも安楽
死できることを合法化してほしい」
生きる権利、と、
死ぬ権利、の、両方を、憲法に、記載しないと、おかしいよね。
――と思うのだが、他人の共感を得られない。
だとすれば、私のような人間は、間違った世界に来てしまったんだろうな。
なぜ、このような世界に、私は、生まれさせられたのか。
もし、神がいるとするならば、私は、神を憎悪する、かも。
望まずに、この世界に、ポイされた、から。
この世界にポイっと誕生させるくらいなら、はじめから、消滅したかった。
それとも、前世というものや、神界という類があって、
そこで何か、悪さをしたから、
この世界に、ぶちこまれた、とか?
つまり、この世界は、刑務所のような扱いになっていた。
などという、真実が明かされたり。
……そんなのが明かされるにしても、途方もない
未来のことだろう。
その、刑務所(牢獄)世界でも、何とか暮らしやすいように、生物は進化&成長&発達して、今にいたる……。そんな想像が、本当のことだったり、しそうだ。
考えてみれば、初期の地球に、生物など放り込んでも、「どうせ、すぐ、
死ぬだろう、絶滅するだろう」としか、思えない。
だが、生きた。
だが、それは、苦しみの始まりでもあった。
生きれたのに、苦しいとは、哀しい。
そんなことを思うと、
死んだ人というのは、本当に不幸だったのかな、と疑問する。
あの世は、あったとしても、苦しいの?
安楽な、あの世から、この世を、眺めていて、「早く死んで、こちらに来るんだ」と、祈っていたり。
「早く楽園に行けるから、なるべく早く死んだほうが良い」という想像は、否定される。
それが、本能かもしれない。
だからこそ、怪しくなる。
真実は、「あの世は苦しい」と、違うのではないか? 逆ではないか、と。
「
自殺はいけない」と、生物に強くインプットされているのが、逆に、わざとらしいように感じてしまう。
でも! 生物である私もまた、本能がプログラムされており、死が怖く、死に難いように、なっている。良くも悪くも。