2018/02/26
【心絵】
以下は、絵に対して述べたものだが、歌の良し悪し・上手い下手に対しても、また、それ以外の分野に対しても、通ずるものだと思っている。
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描くことにつき、思ったこと、記す。 2016-01
■【心絵】《こころえ》 ある絵描きの心得
・『自分がそれで良いと思えば、どれほど酷くとも、それで良い。』
・お絵描き講座を参考にするときの留意。
絵は「上手さ」が重要なのではない。それを忘れてならない。
そして絵の魅力は、上手さで語れない所に、絵の奥深さがある。
時代ごとの一種の型を、上手い絵と云っている場合があることを注意して欲しい。
常々、「自分の作りたいものは?」ということを考えながら、求める画力を考え、自分に合わせた絵の描き方を作り上げる。人それぞれに肉体も精神も違えば、描き方も異なるはずだ。それを無視すれば個々人の生き方から滲み出る魅力というようなもの、色あせる。
・絵の正確性が重要ならば、3Dモデルや実写で良い。むしろバランスの崩れた絵を容易に描けることが、手書きの長所だと思える。
・『自分の描きたいものを、描きたいものだけを、描くようにする』
■練習手法の例「模写」 (漫画絵寄りかもしれない)
※ 練習の仕方もまた人それぞれ。ここにあるのは一例に過ぎず。
・模写。何にしても真似ることは習得の一面です。
「じっくり観察しての模写」、のみならず、「見ながらでなく、覚え込むようにして模写する」というのも良いかもしれない(正確には模写ではないかもしれない)。つまり、記憶を頼りに描く。そっくりに描けなくても良い。
実際の人間をデッサンすることが大事だ、と良く云われるが必ずしもそうではない。漫画絵の場合は絵柄によって、実際の人間の構造と違うため、参考にならないことも少なくないことに留意していただきたい。
・漫画を丸々、自分の絵柄で模写する。という練習方法もあるようですよ。
これも正確には模写でないのかもしれない。マンガのコマ割り、構図、人物的特徴だけ借りて、自分の絵柄に変換して、描き直す、という練習方法です。
「作品イメージは出来ているのに、なぜか描けない」、という人向けに、てっとり早く描けるようになる方法かもしれまぜんね。
●模倣について。思うこと。
癖の強い人間は、模倣を繰り返してもなお、自らの絵柄・画風そして個性がしつこいくらいに残るものです。けれども、そこまで我が残る自信がなく、純粋に模倣者になってしまう心配のある人は、だからこそ「自分の描きたいものを描く」ということを常々考え、自らの行く先を気にかけることが肝要と考えます。
――私個人からすれば、まるでコピーしたかのように、そっくりに真似できてしまうこと自体、1つの利点のようにも思えます。そこまでコピーできるならば、多種多様な画家さん漫画家さんからコピーしまくって、混ぜこぜにし、調和・統合させると、もう元とは似ないオリジナルかつ高レベルのものが出来そうな気はします、理屈では。でも……、後々感づいたのは、いくら絵的な技巧を凝らしても、そこに思いの発露のようなものがメラメラ佇んでいなければ、第一印象で驚かすことは出来ても、読み手の心に長くは響かないのだと。(でも、思いというのは、試行錯誤の四苦八苦の過程でも、嫌がおうにも滲み出てくるはずのもの……。むしろ、ひたすらに思いを込めようとしないことが、無味乾燥な作品を作り出してしまうのだろうか)
覚えて欲しいのは、絵は視覚で見るものだからと云って、本当に見栄えだけに一生懸命になってはダメなのです。表層的な技巧や細工だけを、本当に表層的な思いだけでやってはいけない。絵は、見る物として表層を気にかけて作るが、建物の基礎・土台のように、表には見えない――いや、目には見えない大切なものが詰まっていなければ、どこまで長けても辿りつけないものがある。
(往々にして「大切なものは目に見えないんだ」という先人の言葉は、納得させられます。)
だって見る人も人間なら心があるもの。絵が、単に、凄い技術・技能を示すだけのものになったら、凄いのだけど物足りない。そればかりでは虚しい……。型に限りなく近づけるという職人的技能単体で、創作的または芸術的性質あるいはシンプルに「思い」を織り交ぜないのは、寂しいものです。
このことは、技術に優れている人でなくても陥りやすいかもしれない。というのも、自分の描く絵が下手でダメだと自覚するほど、(技術的意味合いでの)「画力さえあれば……」と、技術不足で魅力がないのだと思ってしまうのも仕方ない。
それは画力向上に励むバネになるかもしれない。繰り返し描く中で、画力と絵の魅力というものが、実はそれほど関係ないことを悟れれば良い。だが、分からなかったら……? 傍から見れば、画力はもう十分すぎるのに、当人は満足いく絵を描くに程遠いと感じている。そこまでなると、そろそろ絵自体を、別角度から考え直す時期だと思える。
画力というのは一種の精神的な道具に過ぎない。研ぎ澄まされた道具から作り出されるものは卓越したものがあるが、道具以上に大切なものがあるはずだ。それは画力のようにはハッキリせず、目には見えにくい「思い・気持ち・執念・信念・感情・魂・情念・情味」。自分には、画力はあくまで手段・道具であり、メインは「思い」にあると考えている。
だからこそ、人を感動させ心震わす作品は、絵が下手だろうと、作り出せる。だからもし、絵描き初心者で、「いつまでたっても絵が上手くならず、嫌気が差してきた」という人でも、気にすることなく、上手い下手にこだわることを止めれば良い。振り切って、気持ちを思い切り込めて描き上げれば、それまで気付かなかった絵の価値を知ることになるかもしれない。
・「模倣からオリジナリティは作り出せますか?」
作り出せます。基本的にオリジナリティはパターンの組み合わせ方に過ぎません。
そのパターンと云う材料を、模倣から得ます。ほとんどのオリジナリティは、材料そのものではなく、その材料の用い方、組み合わせ方によって生じます。で、あるため、過度な模倣をし続けない限りは、オリジナリティに心配することも、ないように思えます。
いや、いっそのこと、オリジナリティを一切諦めてしまうというのも手です。「自分の描きたいものを描く」という信念を持ち続ければ、オリジナリティや個性も、また自らの絵柄・画風というのも、自然に、いつのまにか存在しているものだと考えます。
(当人はひたすらに真似を繰り返しているつもりに関わらず、傍からはオリジナリティに溢れる、個性的だ、と評価されてしまうこと、少なくないような気がします)
■他
・特定の絵描き講座で述べられる、体の「比率」は、あまり参考にしない。頭身や画風によって、全く違うのだから。自分の比率で描きましょう。
もっと云えば、膝や肘の関節なんて無くてもいい。腕の長さが描く度に1mくらい誤差が出てしまっても、それでいい、面白い。貴方の正確に描けない、という短所を、長所に変えてしまえばいい。貴方自身には短所に映ってしまうが、実の所は短所でも長所でもない、単なる特徴に過ぎない点が結構あると思う。だから、他人の正しいと云うものに合わせる必要はない。以前よりも当たり障りない、癖はないが、つまらない絵になってしまうだろうから。答えは自分なりのものを、自分で見つけ出すのが良い。
■以上は、絵に限らず、なぜ自分は『創作』をするのかを考えていった先、様々な理由があっても、それらは広義の「自己表現」につながると感じた者の考えです。
平易に云えば「作りたいから作る」という向きの内容ですが、今ではそうもいかなくなった方でも、純粋に創作意欲のために作っていた頃を振り返れば、何かしらのヒントがあるかもしれません。
――過去――現在――未来――